Twitterから一旦離脱しました。 大変お見苦しい所をお見せ致しました(笑) まぁ、チョーエツロンとか言う奴でして、要するにミニ四駆のセッティングと同じで、「あっちが立てばこっちが立たないだろ?」という話をあちこちで延々とやってた訳ですが、結局、「走らせてみないと分からんだろ?」というのが至言だとか。 この辺はどうしても感覚だとか経験だとかが根拠になっていて、このAIが猛威を奮っている時代にこうした起源的な遊びがしっかり残っているのは、何かしらの根拠がある訳ですが、やっぱチョーエツロンばかりに偏ってもいけず、どこかで覚悟を決めて、えいやー!で走らねばならんのです。 この歳になってまで、ミニ四駆はそんな事をワタシに教えてくれてました。 何が言いたいんだかよく分かりませんが、お疲れ様です。まぁ、ボチボチです。 追記 何が言いたいのか?オチからまとめていくというのも素人じみていて面白いかもしれません。 ワタシは走行も制作もコロナがあってか、随分遠のいていたのですが、思い出すに少年の頃もミニ四駆に沼っていたのは2〜3年で、しかもジャパンカップやらオータムカップが盛り上がっていた前後、つまり通年ではありませんでしたから、そこは残念とか無念とかそういう話じゃないと思います。 そうですねー、"カントと形而上学"みたいな何やら怪しげなセミナー系に沼る、"X JAPANとTOSHI"みたいにも見えるのですが(笑)、我々はなぜ神様を信じなくなったのか?(あるいはそう信じざるを得ないのか?信じたって良いじゃん!)という話の、ほぼコレしかないと言えるような確信的なパスワードではあります。 "カントとコペルニクス(的転回)"というのは単に例え話で、知れば知るほど全くの無関係だったという事実に(というか事実は逆だったに)気付くのですが、文字通り"神頼み"な状況なら、"信じるな!"よりは"信ぜよ"が推奨。 ですが、世間の混乱に乗じて悪だくみをする人がとても増えたので、"分別をつけようとしただけ"が正解です。が、才人がいくら言葉を尽くしても側から見て"神さまは信じない"が定着してしまうという話なんですが。 真実を追求してかえって多くの誤解招いていたという訳ですが、だとすれば、ですよ。 今日の状況は誤解の上に更に誤解を重ねている。 本当は手を取り合っていきたいはずなんです。
2023/05/04 11:38:18