残機

6. 37  あのことが起きたから、このことが起きるにちがいないだろう、という強制は存在しない。存在するのは、論理の必然だけだ。 6. 371  現代の世界観はどれも、「いわゆる自然法則が自然現象の説明である」という錯覚にもとづいている。 6. 372  というわけで人びとは自然法則を、疑う余地のない不可侵のものと考えて、そこで立ち止まっている。昔の人びとが神や運命のところで立ち止まっていたように。 そして新旧ともに正しいけれど、まちがってもいる。ただし古い人たちのほうが、クリアな終着点を認めていたという意味では、クリアである。新しいシステムでは、すべてが説明されたかのように、思わされているので。 6.373  世界は、私の意思に依存していない。 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より *「正しいけれど、まちがってもいる。」って、どういうことよ?まるでタライ回しにされてるようじゃない? ルソー、カント、ウィトゲンシュタインと順を追うと分かりやすいな。ウィトゲンシュタインはウィーン出身だが、同級生にアドルフ・ヒトラーが居る。激動の時代に生きて、自分の考え方が次々に覆った様子を手紙のようにまとめているという意味では三者似たり寄ったりかもしれんが、ホントこれ、綺麗にタライ回しだね。 *「後出しジャンケンシステム」ってコレの事だったの? 浅田彰『構造と力』に出てくるプレモダン/モダン/ポストモダンのモデルケースというか、その凡例を象徴する三者かもしれんね。 *ルソーはプレモダンじゃないし?年代もカントに近い。 形而上学的問題として、ルソーは立法者というスーパーマン的存在を神秘として秘匿した(神の代理として)という意味ではプレモダンじゃね?というか。カントは合目的性に見合う法にならえば、敵対したとしてもいずれは良い方向性に進むと信じ切っていた訳だが、ウィトゲンシュタインによってそれがナンセンスだと告げられる。いや違うな、「語る事ができないことについては、沈黙するしかない」 コモンセンスから論理へ、論理から記号論(タイプやパターン分析)を経て、再びコモンセンスへと回帰する。(逆循環にならない)とも述べたが。 浅田彰が「記号論を超えて」ラフスケッチで示したかった事は、たんに機械的計算はただ直観を斡旋するだけということなのか、一体何なのか?

2024/04/02 22:06:07

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