船の寿命は平均20年 砕氷船は船底で氷を砕く為、船の傷みも早い 宗谷は所属や姿を変えながら40年も最前線で働き続けた 巡視船としてだけでも15年 救出した船は125隻以上 救助した人は1000人以上 過酷な海を生きる漁師からは『北洋の守り神』と崇められていた 引退を囁かれ始めた昭和53年2月、稚内港に押し寄せた流氷が氷結、船の往来を遮断した。 閉じ込められた漁船は31隻 物資を届けようと氷結した港に強行突入したタンカーも居たが失敗に終わった 稚内市長は『北洋の守り神』を名指しで救援要請、宗谷は稚内港に急行する しかし、乗組員には不安がよぎった 昭和47年にも稚内港の氷結に挑んだ事があったが敗北していたのだ 氷の厚さは1.5メートル 宗谷の砕氷能力の1.5倍だ 天候悪化の為、飛行機すら飛べない状況に対して宗谷の船長は単独突入を決意する 宗谷は氷の上に乗り上げるが、厚い氷はびくともしない 後退して助走をつけて再度突っ込む 船体はメリメリと不気味な音をたてた 無理もない、、、いくら改造しても40年の歳月は偽れないのだ 前進、後退を繰り返す宗谷の煙突から吹き上がる火の粉は火柱に変わる それを見た者は直感した 『これが最後の闘い』だと 一時間かけて稚内港、北堤防付近迄来ると反転、フェリー救出に向かう 30分かけてフェリーを助けると更に反転、31隻の漁船が待つ船だまりに向かう 宗谷は何度も何度も突進を繰り返し船だまりに到着。宗谷を先頭に31隻の漁船は無事救助された 全ての船が稚内港を出るのを見届けた宗谷は満身創痍のまま無言で函館に帰投した 遂に引退が正式に決まった宗谷は最後の航海に旅立つ 福井、舞鶴、広島など14の港に『お別れ内覧会』をすると行く先々でとてつもない人々が押し寄せ、宗谷との別れを惜しんだ 東京に着いた宗谷は盛大に解役式が行われ、海上保安庁の歴代長官を始め特務艦時代、灯台補給時代、南極観測船時代、巡視船時代の関わった全ての人達が万感の想いで宗谷の健闘を称えた その年の紅白歌合戦でも『さよなら宗谷』と言う歌がうたわれ日本中から万雷の拍手をもって見送られた。 激動の昭和を生き抜いた宗谷は、その長い生涯に幕を閉じる、、、かと思いきや、まだ終わらない サーセン、書ききれないから追加します( ;∀;)
2017/11/27 06:13:41