中の人は小難しい哲学の話ばっかしている変な人ですが、語の本来の意味から述べれば模型、型(model)というのも"mode"の派生語であって、"現実空間からある一面を切り取ったもの"という意味をずっと含んでいます。 巷で噂されているように、AIが我々の生活を豊かにしたり、逆に脅かしたり、とにかく変革はあるだろう。という話になりがちなんですが、AIは予定された"Code"や"Mode"に従ってるだけで、やってる事はミニ四駆とあんまり変わりません。手を離した瞬間から、ご主人の命令に従って仕事をこなすだけです。 真偽、つまりFAKEかどうか?というのがもっぱらの関心事になるのですが、真偽値のみで世の中を語っていたのが中世哲学です。近代以降は真/偽よりは"変化"に目が行くようになり、Code/Mode。 多数決的な合意束/そこから切り取られた1つの側面(導きの糸)の方が重要になります。 こういった哲学的、時代的背景になったのは"株式や国債が発明されたから"(=権力の切り売り、分散化の発生)という事なのですが、市場と現実も多分ちょっと違うものというのも、昔から言われてる事でしょう。 過剰現実(ハイパーリアリズム)と形而上学(ハイパーシステム)を、実践からは先ずは切り離すべきだと主張し、こうして仮想と現実は別々になってしまった。それでもなおの事、この道をあえて歩ませるという事まで『純粋理性批判』ではセットになっていました。 最近のニュースを眺めていると、現在が過剰なのか、今までが過剰だったのかよく分からなくもなりますが、ミニ四駆を眺めるようにして、そして哲学者のようにして、"ある一面だけを強力に切り取ってみる"しかも"その素材を自由気ままに組み合わせてみる"という事が事実なのだと思います。 そしてこの文脈、"しかも"が最重要でしょう。 政治家は素材を好き勝手に組み合わせるだけが仕事で、その妥当性の検証は有権者に丸投げします。 そしてマスコミはある一面を切り取って記事にするだけで、妥当性の判断は読者に丸投げします。 学者は妥当性の検証こそするが、判断は大衆に丸投げします。 この中で、誰が1番偉いのか?これも否ですね。 「対等なる条件の契約を提案せむ。」 あるのはこのフレーズだけです。

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